ネジ一本の夢

参考資料

このゲームの史実部分は、以下の資料で確かめられた範囲で描いています。

← トップへもどる

史実・伝承・創作の区別

史実 資料で確認できたこと 伝承 伝えられているが確証が弱いこと(ゲーム内でもそう表示) 創作 物語として加えたこと

章史実伝承創作
序章1827年 江戸・駿河台の旗本の家に生まれる、幼名 剛太郎、2500石、安積艮斎の塾で学び栗本鋤雲と知り合う、1843年 初登城、1849年 道子と結婚、1853年 ペリー来航—父や少年時代の鋤雲とのセリフ、クイズの出題形式
第一章1855年 父・忠高の死去と家督相続、1859年 目付・豊後守、遣米使節に目付として加わる(正使 新見正興、副使 村垣範正)—任命の場面と老役人とのやりとり
第二章1860年2月13日 ポーハタン号で横浜を出港、ホノルル寄港、サンフランシスコ、パナマ経由でワシントン、大統領ブキャナンとの会見と批准書交換、フィラデルフィア造幣局での小判とドル金貨の分析、ナイアガラ号で喜望峰を回り世界一周して帰国海軍工廠でネジを持ち帰ったこと(東善寺に「持ち帰ったとされる」ネジが残る。理由を記した史料はない)、造幣局で拍手が起きたこと嵐の場面の演出、職人や水兵とのやりとり
第三章1861年4月13日 大船越事件(ロシアのボートが番所の制止を破り、松村安五郎・吉野数之助が死亡)、外国奉行としてロシア軍艦ポサドニック号の対馬滞留に対応、交渉が実らず幕府直轄などの提案も通らず外国奉行を辞任、ロシア艦はイギリスの圧力もあって退去—対馬藩士・漁師・古老・艦長とのセリフ
第四章1862年 勘定奉行、のち上野介、栗本鋤雲の仲介でフランス公使ロッシュと結び、1865年 ヴェルニーを首長に横須賀製鉄所の建設開始、兵庫商社・築地ホテル館「土蔵付き売り家」の言葉(栗本鋤雲の記録として伝わる)、三野村利左衛門が若いころ小栗家に仕えたこと帳簿の場面、職人たちとのやりとり
第五章1867年 大政奉還、1868年 鳥羽・伏見の戦い、江戸城で主戦論(箱根での迎撃と艦隊の駿河湾派遣)を説くが慶喜に退けられ、1月15日 罷免「どうにかなろう」の言葉、慶喜が袖を払って席を立ったこと評定の間の重臣のセリフ、養子・忠道との会話
第六章3月 権田村の東善寺に仮住まい、観音山に屋敷を計画、彰義隊の隊長就任を断る、村を襲った一団の撃退、小高用水の開削(いまも使われている)、母・妻・養女を会津へ逃がす、閏4月 東山道軍に捕らえられ、閏4月6日 取り調べなく烏川の水沼河原で斬首(数え42歳)、翌日 養子・忠道も処刑—住職・村人・若者とのセリフ、測量のクイズ
終章閏4月6日 昼前、家臣の荒川祐蔵・大井磯十郎・渡辺太三郎とともに水沼河原で斬首、翌日 忠道の処刑、家族が閏4月29日に会津へ到着し道子が国子を産む、1871年 横須賀製鉄所の最初のドック完成、1912年 東郷平八郎が子孫を招いて礼を述べる家臣を制した「お静かに」の言葉と、未練を残すのはよそうという諭し、遺言として女たちへの寛大な扱いを頼んだこと、助命の知らせが斬首の翌日に届いたという説家臣・軍監とのやりとりの細部、「ミレン」との問答
行動の理由小判の分析を求めた背景(外国の銀貨との交換で日本が損をし小判が流出していた)、対馬事件後の提言(直轄化・正式な外交折衝・国際世論とイギリス海軍の協力)、フランス中心の協力(アメリカは南北戦争中)、兵庫商社の狙い(資本の小さい日本商人の不利への対抗)、彰義隊を断った理由(慶喜に戦う意思がない以上、大義名分がない)、新政府軍の嫌疑(大砲・小銃の所持と農兵訓練。裏づける証拠は見つかっていない)慶喜が主戦論を退けた理由(朝敵となるのを避け恭順を示すため、家臣の暴発を防ぐためと考えられている)、自前で船を直しつくる力が必要という考え(サライ.jpの記事による)理由を語るセリフの言い回し
全編——ヘイソク(ゼンレイ・ムダなど)との問答バトル、どうぐとわざの仕組み

ウェブ資料

古典・原文

おことわり

このゲームはフィクションの結末を入れず、史実の最期までを描いています。会話の細部は物語として補っています。誤りに気づいた方は、制作者までお知らせいただけるとうれしいです。